みなさん!
百瀬神父さまの番組ページが新しくなったこと、
もうご存知ですよね!?
スッキリそしてより深く、百瀬神父さまのお話の世界に入り込んでいただけるように
工夫してみたのですが、いかがでしょうか?
工夫の一つとして、新しく「神父さまの祈り」のコーナーを新設いたしました。
是非どうぞ御覧くださって、ご一緒にお祈りしていただけたらと願っています。
皆さんは、自分の祈りのまずしさに心がしょげてしまうことってありませんか?
言葉では祈ってるんだけど、なんか違う。
そういう時って、きっとみんなあると思うんです。
そんな時、この「神父さまの祈り」を御覧になってみてください。
そして、ただ見るだけじゃなくって、
是非実際にそこでお祈りしていただけたらなって、思うんです。
百瀬神父様のお祈り。
それは意外な程に「素朴」です。
誰にでも分かる言葉で、「天の父よ…」とお祈りされます。
でも、その素朴さは、ただ単に「素朴」っていうのとも違う気がするんですよね。
言葉はおかしいかもしれませんが、「研ぎすまされた素朴さ」っていうか。
百瀬神父様の祈りを、私たちがなぞるように祈らせていただく時、
その時に初めて、その祈りの「秘密」を、
幾分かでも味わわせていただけるんじゃないかなって思います。
「放送が聴ければいいや…」
なんて、そんな事言わないで、是非ぜひ番組ページも御覧になってみてくださいね。
意外な宝が、そこにはあると思いますよ。
2008年08月05日
2008年08月04日
超一等地。
東京、銀座。
たくさんの高級ブランド店が立ち並び、
そして休日には、買い物客で歩行者天国がいっぱいになる街。
その一角に、教文館というキリスト教書店があります。
松屋銀座のはす向かい、アップルストア銀座の向かいという、まさに一等地です。
そんな場所に、実は私たちFEBCのCDコーナーがあるんですねえ〜。
皆様もうご存知でしたか??

教文館3階のキリスト教書フロア、しかもレジのすぐそば!

まさに一等地の中の一等地、「超一等地」です。
教文館の方の多大なご好意によりまして、素晴らしいスペースを提供していただいています。
本当にありがとうございます。
先日、ポスターの張り替えなどで教文館に伺ったのですが、
棚を整理しながら、
「こんなに多くの方にご出演いただいているんだな〜」と、
今更のように思わされました。
FEBCのホームページにあるCDショップでお求めいただける商品のほぼ全てが、
一カ所に「ででーん」と陳列されている様は、ちょっと圧巻です。

お近くに来られた際は、ぜひ教文館にお立ち寄りくださり、
FEBCコーナーを探してみてください。
そのラインナップを見、ご出演くださった先生方のお名前を見るだけでも、一見の価値ありですよ。
たくさんの高級ブランド店が立ち並び、
そして休日には、買い物客で歩行者天国がいっぱいになる街。
その一角に、教文館というキリスト教書店があります。
松屋銀座のはす向かい、アップルストア銀座の向かいという、まさに一等地です。
そんな場所に、実は私たちFEBCのCDコーナーがあるんですねえ〜。
皆様もうご存知でしたか??
教文館3階のキリスト教書フロア、しかもレジのすぐそば!
まさに一等地の中の一等地、「超一等地」です。
教文館の方の多大なご好意によりまして、素晴らしいスペースを提供していただいています。
本当にありがとうございます。
先日、ポスターの張り替えなどで教文館に伺ったのですが、
棚を整理しながら、
「こんなに多くの方にご出演いただいているんだな〜」と、
今更のように思わされました。
FEBCのホームページにあるCDショップでお求めいただける商品のほぼ全てが、
一カ所に「ででーん」と陳列されている様は、ちょっと圧巻です。
お近くに来られた際は、ぜひ教文館にお立ち寄りくださり、
FEBCコーナーを探してみてください。
そのラインナップを見、ご出演くださった先生方のお名前を見るだけでも、一見の価値ありですよ。
2008年08月01日
何を求めているのか
番組『わが神、イエス』で、今回、広田先生がお話しくださっている箇所は、
正直言って、ちょっとわかりにくい箇所なんです。
イエス様を捜し求めて向こう岸まで船で渡って来た群衆が、
ついにやっとイエス様を見つけることができて、
めでたし、めでたし・・・と思いきや、
その群衆に対するイエス様の態度は、なんとも冷たくそっけないのです。
熱心にイエス様を追い求めてやって来た人たちに、どうして???
実はちゃんと理由があるのです。
そしてその理由は、信じたいのに信じられなくて、もがいている、
この私自身の根っこにあるものを鋭く突いてくるようです。
広田先生はこうおっしゃいます。
「私が求めているものと、神様が与えようとしているものと、
一致しているとは限りません。
むしろ、ズレていることの方が多いのです。」
さらにこうおっしゃいます。
「私たちは神様に何を求めているのでしょう。
神様が私たちに与えようとしておられるのは、御子イエスご自身なのです。
群衆が犯した間違い、また、私たちが犯す間違いは、
神様に主イエスを求めるのではなくて、自分自身を求めてしまうことです。
煎じつめると、満足のいく自分自身を求めています。
主イエスは、『これが違う』と言っているのです。」
心にズキンとくる言葉です。
でもどうか最後までお聴きください。
番組の最後で広田先生が祈られるのですが、そのお祈りは、
まるで私が「こう祈りたい」祈りを代弁してくださっているようで、
心から「アーメン」と思いました。
(約20分)
正直言って、ちょっとわかりにくい箇所なんです。
イエス様を捜し求めて向こう岸まで船で渡って来た群衆が、
ついにやっとイエス様を見つけることができて、
めでたし、めでたし・・・と思いきや、
その群衆に対するイエス様の態度は、なんとも冷たくそっけないのです。
熱心にイエス様を追い求めてやって来た人たちに、どうして???
実はちゃんと理由があるのです。
そしてその理由は、信じたいのに信じられなくて、もがいている、
この私自身の根っこにあるものを鋭く突いてくるようです。
広田先生はこうおっしゃいます。
「私が求めているものと、神様が与えようとしているものと、
一致しているとは限りません。
むしろ、ズレていることの方が多いのです。」
さらにこうおっしゃいます。
「私たちは神様に何を求めているのでしょう。
神様が私たちに与えようとしておられるのは、御子イエスご自身なのです。
群衆が犯した間違い、また、私たちが犯す間違いは、
神様に主イエスを求めるのではなくて、自分自身を求めてしまうことです。
煎じつめると、満足のいく自分自身を求めています。
主イエスは、『これが違う』と言っているのです。」
心にズキンとくる言葉です。
でもどうか最後までお聴きください。
番組の最後で広田先生が祈られるのですが、そのお祈りは、
まるで私が「こう祈りたい」祈りを代弁してくださっているようで、
心から「アーメン」と思いました。
2008年07月31日
アース
今年1月に公開されていた映画「アース」、皆さんご存知ですか。
最近までテレビなどで
DVDとしてリリースされるというCMが頻繁になされていますから
知っている方も多いかもしれません。
私もすっかり見逃し組だったのですが、
先日レンタル店で発見し、即、借りちゃいました。
感想と言えば・・・
いやー、すごかった。いろんな意味で。
2006年からNHKスペシャルで放送されていた
NHKとBBCの共同制作番組「プラネットアース」のファンだったので
そのスタッフが総力を挙げて取り組んだ今回の映画は
とても楽しみにしていました。
世界各地で大規模かつ長期のロケによって録られた映像は
まさに自然と生命の叙情詩と言うべきもので、
圧巻の一言。
(ただ弱肉強食の現場は苦手なので、
所々目を手で覆いながら見ていたんですけれどもね。)
しかしこの「アース」、
NHKでやっていた「プラネットアース」以上に
地球温暖化への警鐘で貫かれており、
単なる自然ドキュメンタリーではありません。
地球温暖化に関しては様々な意見や立場があり、
先月の洞爺湖サミットでも具体的な合意ができなかった
難問中の難問。
温暖化自体にも疑問を呈する意見もあったりで、
様々な利害や都合や思惑で
身動きが取れなくなっているこの問題の深刻さは
人間の現実を見せつけられる思いがします。
よく知られていますが、
2、30年程度で北極には氷がなくなり、
その前に白熊などは絶滅するだろうと言われています。
この「アース」でも
一匹の若い北極熊の姿を追って撮影していました。
この若い熊の
飢えに苦しみ死んでゆく姿を見ながら、
なぜだか主イエス様の十字架での
あの言葉が思い起こされました。
そのとき、イエスは言われた。
「父よ、彼らをお赦しください。
自分でなにをしているか知らないのです。」
(ルカ23:34)
今自分にできること、
しなければならないことから始めようと思いながら、
正直それでどうなる?と軽い絶望感を感じていた私でした。
でも
この世界をお創りになったのも支えておられるのも人間じゃない。
そう、このお方だ!って。
そうしたら、すーっと安心感に包まれていました。
さてさて皆さんはどんなことに取り組んでおられますか?
極度に暑がりの私はエアコンの設定温度から始めます!
(電気代もまたあがることですしね。単なるケチか!?)
2008年07月29日
この罪を洗ってくれー!
番組「主よ、あなたが歩かれる道ならば」の
今回の放送のタイトルは、「取りなさい」です。
いったい、だれが、何を「取りなさい」なのか・・・???
主語も目的語もなくて、ちょっと意味不明なタイトルなのですが、
実際に放送を聴いて、この「取りなさい」というひと言に込められた
井幡先生の気迫が、いえ、イエス様の気迫が伝わってきて、
このひと言に、魂が揺さぶられる思いがしました。
実は今回の放送、かなり激しい内容です。
特に後半は、耳が釘付け(?)になるほど聴き入ってしまいました。
内容も終盤にさしかかったところで、井幡先生はこう語られます。
「私たちは、神様に対して、また人に対して、罪を犯す・・・
しかしこの罪は、神に対して、人に対して、というだけでなくて、
この自分自身をもおとしめているのです。
私たちは自らの罪に傷つき、弱り、あえぎながら、
だれかこの罪を洗ってくれー!この罪を癒してくれー!
そう叫んでいる・・・」
ものすごく激しい叫び・・・
でも、この叫び以上に激しいイエス様のお姿が語られています。
ぜひお聴きください。
(約20分)
今回の放送のタイトルは、「取りなさい」です。
いったい、だれが、何を「取りなさい」なのか・・・???
主語も目的語もなくて、ちょっと意味不明なタイトルなのですが、
実際に放送を聴いて、この「取りなさい」というひと言に込められた
井幡先生の気迫が、いえ、イエス様の気迫が伝わってきて、
このひと言に、魂が揺さぶられる思いがしました。
実は今回の放送、かなり激しい内容です。
特に後半は、耳が釘付け(?)になるほど聴き入ってしまいました。
内容も終盤にさしかかったところで、井幡先生はこう語られます。
「私たちは、神様に対して、また人に対して、罪を犯す・・・
しかしこの罪は、神に対して、人に対して、というだけでなくて、
この自分自身をもおとしめているのです。
私たちは自らの罪に傷つき、弱り、あえぎながら、
だれかこの罪を洗ってくれー!この罪を癒してくれー!
そう叫んでいる・・・」
ものすごく激しい叫び・・・
でも、この叫び以上に激しいイエス様のお姿が語られています。
ぜひお聴きください。
2008年07月25日
結婚ってやっぱりすばらしい
「わたし、結婚して5年目に入ったんですよ。
ジェニイングレイス、夫婦でやっているわけですけど…」。
えぇ〜、知らなかったぁ!
なんて悲鳴(?)をあげている男の人もいるでしょうね。
でも、番組の中でも堂々と語っているので、
まあ、ここで書いても許されるでしょう。
スタジオ入りされる時も、
いつも抜群のファッションセンスでいらして下さるメグさんは
ホント、いっつも若々しいし、カッコいいのです。
そんなメグさんが、今回はこんなことを語られます。
「結婚して、つら〜くなったこともありました。
そんな時は心にささやく声が聞こえるんです。
『もともと合わない二人だったんだよ』って。
そんなささやきが大きくなることもあって…」。
でも、そこでメグさんはこう考えた、といいます。
「しあわせって、何なんだろう?
自分の願いが叶うこと。理想通りになること。
自分が快適でいられること。満足すること。
…それがしあわせなのかな?
でも、もしそれがしあわせだとしてしまうと、
本当に苦しくなる自分がいるっていうことに気がついて…。
…結婚生活の中で、
絶対に忘れちゃいけないことがあると思うんですよね。
それは…」
皆さん、何だと思います?
「はじめの頃のこと思い出す」?「頑張って忍耐する」?
そうじゃないんです!
私はミキシングしながらその言葉を聞いて、
「あぁ!本当だなぁ!」って目が覚まされる思いが致しました。
結婚している方には特に聞いてほしいです。
もちろん、今は結婚していない若い人も、
これを聞いたら結婚したくなるかも!?
2008年07月23日
ユダ
「人の子を裏切るその者は不幸だ。
生まれなかった方が、その者のためによかった。」
(マルコによる福音書14章21節)
十字架を前にして、イエス様がユダの裏切りを予告されたとき
おっしゃった言葉です。
イエス様から「生まれなかった方が・・・」とまで言われてしまうユダ。
いったいイエス様はどんな思いでこの言葉を吐かれたのでしょう。
もちろんその心中は計り知れません。
でも、読み過ごすことのできない、
なにか重ーい影を落とすような、ドキリとする言葉です。
今回の「主よ、あなたが歩かれる道ならば」で
ここの箇所からお話しくださっているのですが、
さらにドキリとしてしまいました。
井幡先生はこうおっしゃいます。
「こんなひどい呪いの言葉はないと思います。
お前なんかいない方が良かったということですから…。
しかし私たちは、この言葉と無縁かというと、
絶対そんなことはないと思いました。
これは私たちが生きていく中で、
時に突きつけられる言葉ではないでしょうか。」
そう言われてみると、たしかにそうなのです。
自分なんかいない方がいいんじゃないか・・・
もう消えてなくなってしまいたい・・・
時にそんな心境に陥る自分は、この言葉と無縁だとは
絶対に言えないのです。
「ユダはその極みだった」と先生はおっしゃいます。
そのユダにイエス様は・・・
ここから先はどうかお聴きください。
ひと言ひと言が胸に迫ってきます。
(約20分)
生まれなかった方が、その者のためによかった。」
(マルコによる福音書14章21節)
十字架を前にして、イエス様がユダの裏切りを予告されたとき
おっしゃった言葉です。
イエス様から「生まれなかった方が・・・」とまで言われてしまうユダ。
いったいイエス様はどんな思いでこの言葉を吐かれたのでしょう。
もちろんその心中は計り知れません。
でも、読み過ごすことのできない、
なにか重ーい影を落とすような、ドキリとする言葉です。
今回の「主よ、あなたが歩かれる道ならば」で
ここの箇所からお話しくださっているのですが、
さらにドキリとしてしまいました。
井幡先生はこうおっしゃいます。
「こんなひどい呪いの言葉はないと思います。
お前なんかいない方が良かったということですから…。
しかし私たちは、この言葉と無縁かというと、
絶対そんなことはないと思いました。
これは私たちが生きていく中で、
時に突きつけられる言葉ではないでしょうか。」
そう言われてみると、たしかにそうなのです。
自分なんかいない方がいいんじゃないか・・・
もう消えてなくなってしまいたい・・・
時にそんな心境に陥る自分は、この言葉と無縁だとは
絶対に言えないのです。
「ユダはその極みだった」と先生はおっしゃいます。
そのユダにイエス様は・・・
ここから先はどうかお聴きください。
ひと言ひと言が胸に迫ってきます。
2008年07月21日
涙の理由
魂がふるえるような収録、というのがあります。
それはきっと、お語りくださる先生方が、
まさにご自身の魂の底から言葉を紡ぎ出してくださっているからなのだと思います。
そういう収録に立ち会わせていただくというのは、
本当にスタッフ冥利に尽きるのですけれども、
今回の『魂のゆくえ』は、まさにそうした収録でした。
ルーテル学院大学で学生相談もされている石居基夫先生。
中には、本当に厳しいケースもあるとのことです。
この収録の時も、直前まで相談にのっておられたとの事でした。
痛む魂の傍らに居続けるということは、それだけで本当に厳しいこと。
時には、慰める言葉すら見失ってしまうことだってありますよね。
逆に「安易な」慰めの言葉が人を傷つけてしまう事だってあります。
時に、涙ぐまれながらお話くださる石居先生。
この収録の時もそうでした。
きっと、いろんなことを思いながらお話しくださったんだろうなと思います。
石居先生の涙の理由。
それは、先生のやさしさの表れであると同時に、
キリストの愛が先生を突き動かして止まないからなのだと思いました。
「お前と共に居たい!」「お前と共に生きていきたい!」
このキリストの叫びが聴こえますか。
今日も主イエス様は、私たちを探し求めて叫び続けていてくださいます。
(約20分)
それはきっと、お語りくださる先生方が、
まさにご自身の魂の底から言葉を紡ぎ出してくださっているからなのだと思います。
そういう収録に立ち会わせていただくというのは、
本当にスタッフ冥利に尽きるのですけれども、
今回の『魂のゆくえ』は、まさにそうした収録でした。
ルーテル学院大学で学生相談もされている石居基夫先生。
中には、本当に厳しいケースもあるとのことです。
この収録の時も、直前まで相談にのっておられたとの事でした。
痛む魂の傍らに居続けるということは、それだけで本当に厳しいこと。
時には、慰める言葉すら見失ってしまうことだってありますよね。
逆に「安易な」慰めの言葉が人を傷つけてしまう事だってあります。
時に、涙ぐまれながらお話くださる石居先生。
この収録の時もそうでした。
きっと、いろんなことを思いながらお話しくださったんだろうなと思います。
石居先生の涙の理由。
それは、先生のやさしさの表れであると同時に、
キリストの愛が先生を突き動かして止まないからなのだと思いました。
「お前と共に居たい!」「お前と共に生きていきたい!」
このキリストの叫びが聴こえますか。
今日も主イエス様は、私たちを探し求めて叫び続けていてくださいます。
2008年07月18日
私の隣でうずくまるイエス様
聖書を開く時、礼拝の説教を聴く時、自分が一番求めていることは何だろう?
って思うと…やっぱりイエス様にお会いすることでしょうか。
それも、今まで自分が知らなかった新しいイエス様にお会いしたいと思うのです。
今日更新された藤沢北教会の礼拝説教は、まさに私にとって新しいイエス様に
出会った、という感じです。
ヨハネ福音書8章に書かれている、姦通の女の話。
ここでイエス様は、ずっとしゃがみ込んでうずくまっているのです。
なぜこんな姿勢でいるのでしょう。
人々の目を引くためとか、女を助けるためだとか聞いたり考えたりしてきました。
でも、そうじゃなかったんですね。
私の隣にも、うずくまるイエス様がいてくださるんですね。
(約50分)
って思うと…やっぱりイエス様にお会いすることでしょうか。
それも、今まで自分が知らなかった新しいイエス様にお会いしたいと思うのです。
今日更新された藤沢北教会の礼拝説教は、まさに私にとって新しいイエス様に
出会った、という感じです。
ヨハネ福音書8章に書かれている、姦通の女の話。
ここでイエス様は、ずっとしゃがみ込んでうずくまっているのです。
なぜこんな姿勢でいるのでしょう。
人々の目を引くためとか、女を助けるためだとか聞いたり考えたりしてきました。
でも、そうじゃなかったんですね。
私の隣にも、うずくまるイエス様がいてくださるんですね。
2008年07月14日
大変身!?
今、FEBCがイチオシしている番組がどれか、みなさんお分かりですか?
そう、それはもちろん、
大好評放送中の『神父さま、こんなこと聞いてもいいですか?』ですね。
その番組ページが、今日からリニューアルされました(拍手)!!!
構想・制作、数ヶ月。
スタッフみんなで激論を交わしつつ、
ようやく本日のリニューアルにこぎ着けました。
新しい番組ページの特徴は、
御覧いただけたら一目瞭然で分かると思います。
シンプル。
ストレート。
神様の豊かな慈しみの世界にどっぷり浸かっていただくために、
こういうデザインにしてみました。
「最新の放送が聞きたいんだ!」というあなたも、
「じっくりお話を読んでみたい」というあなたも、
「神父さまと一緒に祈りたい」というあなたも、
「今日初めて見たんだけど」というあなたも、
皆さんで新しい番組ページを楽しんでいただけたらな、と切実に思います。
新しい『神父さま、こんなこと聞いてもいいですか?』を、
皆様、どうぞよろしく。
http://www.febcjp.com/catho/index.html
そう、それはもちろん、
大好評放送中の『神父さま、こんなこと聞いてもいいですか?』ですね。
その番組ページが、今日からリニューアルされました(拍手)!!!
構想・制作、数ヶ月。
スタッフみんなで激論を交わしつつ、
ようやく本日のリニューアルにこぎ着けました。
新しい番組ページの特徴は、
御覧いただけたら一目瞭然で分かると思います。
シンプル。
ストレート。
神様の豊かな慈しみの世界にどっぷり浸かっていただくために、
こういうデザインにしてみました。
「最新の放送が聞きたいんだ!」というあなたも、
「じっくりお話を読んでみたい」というあなたも、
「神父さまと一緒に祈りたい」というあなたも、
「今日初めて見たんだけど」というあなたも、
皆さんで新しい番組ページを楽しんでいただけたらな、と切実に思います。
新しい『神父さま、こんなこと聞いてもいいですか?』を、
皆様、どうぞよろしく。
http://www.febcjp.com/catho/index.html
2008年07月12日
愛をいただく。
「信仰熱心な中で、愛を失うということが起こる。」
今回の『わが神、イエス』で、広田先生はそうおっしゃいました。
私にとって、とても耳に痛いというか、胸に刺さる言葉でした。
信仰のど真ん中で、一番やってはいけないことをしてしまう。
愛の神様を信じる信仰の中で、人を深く傷つける事さえしてしまう。
「私は一体何をしてるんだろうか」
「もうホント、どうしようもないや」
そう思って、悲しくなる事もあるんです。
皆さんの中にも、そういう経験がある方、いらっしゃいますよね?
「信じている」という言葉じたいが何だか虚しいような時。
そんな時は、きっと、私たちはとんちんかんなものを追いかけているのかもしれません。
黙って、手を合わせること。
あれやこれやを追いかけ回して、くたびれ果てるのではなく、
「力を捨てよ、知れ わたしは神。」
という神様の御声に耳を澄ますこと。
というか、もうそれ以外にやることが無くなっちゃうっていうこと。
だから、信仰って、本当に『受け身』のこと、
空の手にいただくことなんだよなって思わされている、今日この頃です。
(約20分)
今回の『わが神、イエス』で、広田先生はそうおっしゃいました。
私にとって、とても耳に痛いというか、胸に刺さる言葉でした。
信仰のど真ん中で、一番やってはいけないことをしてしまう。
愛の神様を信じる信仰の中で、人を深く傷つける事さえしてしまう。
「私は一体何をしてるんだろうか」
「もうホント、どうしようもないや」
そう思って、悲しくなる事もあるんです。
皆さんの中にも、そういう経験がある方、いらっしゃいますよね?
「信じている」という言葉じたいが何だか虚しいような時。
そんな時は、きっと、私たちはとんちんかんなものを追いかけているのかもしれません。
黙って、手を合わせること。
あれやこれやを追いかけ回して、くたびれ果てるのではなく、
「力を捨てよ、知れ わたしは神。」
という神様の御声に耳を澄ますこと。
というか、もうそれ以外にやることが無くなっちゃうっていうこと。
だから、信仰って、本当に『受け身』のこと、
空の手にいただくことなんだよなって思わされている、今日この頃です。
2008年07月09日
これが、信仰。
百瀬神父様のお話を聞いていると、
毎回と言ってもいい程感じることがあるんです。
それは、
「自分は、いったい今まで何を信じてきたんだろう?」
ということ。
なんか、私の個人的な性格もあると思うんですけど、
ヘンに頑張っちゃうんですよね、こと信仰に関しても。
「ちゃんと学ばなきゃー」って。
でも、百瀬神父様の穏やかな口調の温かいお話を聴いていると、
「うーん、そうじゃないんだけどなあ…」
とおっしゃる百瀬神父様の声が聞こえてきそうで。
「祈りとは、神様の前に自分を置くことです。」
そうおっしゃる百瀬神父様は、ご自身がまさにその祈りに生きておられる方。
だからこそ、神様の惜しみない恵みと慈しみを、
私たちに自然体で語ることが出来るのでしょうね。
放送の最後にいつも祈られる、百瀬神父様の祈り。
どうぞ、皆様もこころを合わせて御一緒にお祈りください。
言葉を越えて、神様の慈しみに全身が包まれることを感じる事が出来ると思います。
信仰って、きっとそういうことなんですよね。
(約20分)
毎回と言ってもいい程感じることがあるんです。
それは、
「自分は、いったい今まで何を信じてきたんだろう?」
ということ。
なんか、私の個人的な性格もあると思うんですけど、
ヘンに頑張っちゃうんですよね、こと信仰に関しても。
「ちゃんと学ばなきゃー」って。
でも、百瀬神父様の穏やかな口調の温かいお話を聴いていると、
「うーん、そうじゃないんだけどなあ…」
とおっしゃる百瀬神父様の声が聞こえてきそうで。
「祈りとは、神様の前に自分を置くことです。」
そうおっしゃる百瀬神父様は、ご自身がまさにその祈りに生きておられる方。
だからこそ、神様の惜しみない恵みと慈しみを、
私たちに自然体で語ることが出来るのでしょうね。
放送の最後にいつも祈られる、百瀬神父様の祈り。
どうぞ、皆様もこころを合わせて御一緒にお祈りください。
言葉を越えて、神様の慈しみに全身が包まれることを感じる事が出来ると思います。
信仰って、きっとそういうことなんですよね。
2008年07月07日
暗闇の中で絶叫した…
人間はいったいどこから来て
なんのために生きて
死んだらどこへ行くんだろう
小野淳子先生(イエス・キリスト青山台希望教会牧師)は、
10代のときから真剣にこう問い続けたそうです。
そして20歳のある晩、先生は
この疑問がもう頭にも胸にもいっぱいになって、
たまらずに外に飛び出し、
暗闇の中で心の底から絶叫します。
だれでもいいから
この真理を知っている人がいたら
おしえてほしい!!!
もちろん、聞いている人も答える人もだれもいません。
けれどもある日、不思議なことが起こり、
だれも聞いていなかったはずのあの叫びを
実は神様というお方が聞いておられたんだ!と知るのです。
日蓮宗のご家庭に育ち、
教会に行ったことも聖書を読んだこともなかった小野先生が
だれかわからないけれど、大きなお方が
20年間、ずっと愛し続けていてくださったことに気づき、
「この方が神様なのかな?」と思われた・・・。
その先生と神様との出会いは、まさに
神様のほうから一方的に出会ってくださった!
としか言い様がありません。
神様ってほんとうにほんとうに生きておられて、
だれに向かって叫んだらいいのかわからない、
でも叫ばずにはいられない叫びを、
たしかにお聞きくださっている!!
先生のお話しを聞きながら、強くそう思いました。
(約20分)
なんのために生きて
死んだらどこへ行くんだろう
10代のときから真剣にこう問い続けたそうです。
そして20歳のある晩、先生は
この疑問がもう頭にも胸にもいっぱいになって、
たまらずに外に飛び出し、
暗闇の中で心の底から絶叫します。
だれでもいいから
この真理を知っている人がいたら
おしえてほしい!!!
もちろん、聞いている人も答える人もだれもいません。
けれどもある日、不思議なことが起こり、
だれも聞いていなかったはずのあの叫びを
実は神様というお方が聞いておられたんだ!と知るのです。
日蓮宗のご家庭に育ち、
教会に行ったことも聖書を読んだこともなかった小野先生が
だれかわからないけれど、大きなお方が
20年間、ずっと愛し続けていてくださったことに気づき、
「この方が神様なのかな?」と思われた・・・。
その先生と神様との出会いは、まさに
神様のほうから一方的に出会ってくださった!
としか言い様がありません。
神様ってほんとうにほんとうに生きておられて、
だれに向かって叫んだらいいのかわからない、
でも叫ばずにはいられない叫びを、
たしかにお聞きくださっている!!
先生のお話しを聞きながら、強くそう思いました。
2008年07月03日
人生最初のプレゼントは…。
この度、日本聖書協会で発行している新共同訳の聖書が、なんと頒布1,000万部を達成いたしました!
よく「聖書は世界のベストセラー」と言いますが、1,000万部とは恐れ入りました。
今回、FEBCのCDshopもある教文館3階のキリスト教書フロアにて、その1,000万冊頒布を記念した催し物が開かれまして、それに私も行って参りました。
聖書をお買い求めになられた方々を代表として選ばれたのは、日本基督教団銀座教会 伝道師の藤井清邦師の奥様、藤井明子さん。
明子さんには、日本聖書協会 総主事の渡部信様からアートバイブルがプレゼントされました。

実は、明子さんは現在妊娠中で、今年の10月に出産予定なんだそうです。
お父さんになられる藤井先生は、
「産まれて来る子どものために、いろいろ買いそろえなきゃと思ってたんだけど、『この子の人生最初のプレゼントは聖書にしよう』と思って、これまで買い物を我慢してたんです。」
とおっしゃっておられました。

人生最初のプレゼントが聖書、それも1,000万部の記念だなんて、素敵ですよね!
よく「聖書は世界のベストセラー」と言いますが、1,000万部とは恐れ入りました。
今回、FEBCのCDshopもある教文館3階のキリスト教書フロアにて、その1,000万冊頒布を記念した催し物が開かれまして、それに私も行って参りました。
聖書をお買い求めになられた方々を代表として選ばれたのは、日本基督教団銀座教会 伝道師の藤井清邦師の奥様、藤井明子さん。
明子さんには、日本聖書協会 総主事の渡部信様からアートバイブルがプレゼントされました。
お父さんになられる藤井先生は、
「産まれて来る子どものために、いろいろ買いそろえなきゃと思ってたんだけど、『この子の人生最初のプレゼントは聖書にしよう』と思って、これまで買い物を我慢してたんです。」
とおっしゃっておられました。
人生最初のプレゼントが聖書、それも1,000万部の記念だなんて、素敵ですよね!
2008年06月21日
ゴスペルシンガー塩谷達也さん
先週ご紹介したゴスペルシンガー塩谷達也さんのインタビュー
今週からその後半を放送しています。
塩谷さんは普段は、キリスト教とはぜんぜん関係ないカルチャースクールや専門学校で
ゴスペルを教えているんです。
教会の外で、クリスチャンではない方々と一緒に神様を賛美している塩谷さんの語る言葉は、
いわゆるキリスト教的なお話ではなくて、
すごく生き生きしていて、心に自然に響いてきます。
番組の最後では塩谷さんの歌も聴けますよ♪
「キリスト教には興味ないけど、ゴスペルや音楽は好き」っていう方にもぜひ聴いてほしいです。
皆さんのお知り合いにもそんな方がいましたら、ぜひおすすめしてみてください!
(約25分)
今週からその後半を放送しています。

塩谷さんは普段は、キリスト教とはぜんぜん関係ないカルチャースクールや専門学校で
ゴスペルを教えているんです。
教会の外で、クリスチャンではない方々と一緒に神様を賛美している塩谷さんの語る言葉は、
いわゆるキリスト教的なお話ではなくて、
すごく生き生きしていて、心に自然に響いてきます。
番組の最後では塩谷さんの歌も聴けますよ♪
「キリスト教には興味ないけど、ゴスペルや音楽は好き」っていう方にもぜひ聴いてほしいです。
皆さんのお知り合いにもそんな方がいましたら、ぜひおすすめしてみてください!
2008年06月20日
絵になる男たちの素敵な讃美
6/20と6/27放送の「MeguのCCM insight!」は、必聴そして必見!
以前にもゲスト出演して下さり、多くの若者の心をとらえた
関野和寛牧師(福音ルーテル東京教会牧師)が再登場!
今回は、日本ルーテル神学校の一年生、市原悠史さんがご一緒。
この市原さん、春に「好きな音楽も脇に置いて勉強するぞ!」と意気込んで上京するやいなや、関野先生がいきなり「一緒にバンドやろう!!」と…。
その辺の楽しいエピソードは27日に語られています。
今ではお二人で教会で「ライブ礼拝」を開いたり、コンサートもされたり。
「教会って来にくい雰囲気があるでしょ?でも、若い人たちにこそイエス様を知って欲しい。」
そのアツい思いがホントに伝わってくるトーク、そしてオリジナルの歌の数々です。
たとえば、「白い光」(20日放送)は、こんな歌詞が歌われます。
♪「数えきれない過ちを だれが背負うの
あの人が背負ってくれるの?
あの人が受けた苦しみ、あの人の傷が、私たちの平和。
テーブルの上に拡げた痛みの日々に降り注ぐ 白い光」
バンド名「タッキー&ユウシ」(!!) そしてもちろんメグさん を交えてのトライアングル。
是非、お聞き下さい!
動画もアップしていますのでこちらも是非!
(約1分)
声や顔だけではなく、関野先生のギター、市原さんのカホン(ペルー生れの打楽器)にも注目!
(約20分)
関野和寛牧師(福音ルーテル東京教会牧師)が再登場!
今回は、日本ルーテル神学校の一年生、市原悠史さんがご一緒。
この市原さん、春に「好きな音楽も脇に置いて勉強するぞ!」と意気込んで上京するやいなや、関野先生がいきなり「一緒にバンドやろう!!」と…。
その辺の楽しいエピソードは27日に語られています。
今ではお二人で教会で「ライブ礼拝」を開いたり、コンサートもされたり。
「教会って来にくい雰囲気があるでしょ?でも、若い人たちにこそイエス様を知って欲しい。」
そのアツい思いがホントに伝わってくるトーク、そしてオリジナルの歌の数々です。
たとえば、「白い光」(20日放送)は、こんな歌詞が歌われます。
♪「数えきれない過ちを だれが背負うの
あの人が背負ってくれるの?
あの人が受けた苦しみ、あの人の傷が、私たちの平和。
テーブルの上に拡げた痛みの日々に降り注ぐ 白い光」
是非、お聞き下さい!
動画もアップしていますのでこちらも是非!
声や顔だけではなく、関野先生のギター、市原さんのカホン(ペルー生れの打楽器)にも注目!
2008年06月13日
俺の人生が変わったんだ
こんなに自然に、こんなに楽しく伝道している人に
初めて出会った気がします。
いや、たぶんご本人は、「伝道ということ」をしている
なんて意識すらないのかもしれません。
「伝道しよう!」とか「伝道しなきゃ!」じゃなくて、
もうその存在から、イエス様に出会った喜びがあふれ出しちゃって止まらない
そんな感じです。
その人とは、今放送中のコーヒーブレイク・インタビューにご出演の
ゴスペルシンガー塩谷達也さんです。
「・・・だから僕はもう、黙ってられないんですよね。
いろんなところで『すごいぞ、イエス様は』って言いふらしてんですよ。
それはもう、俺の人生が変わったんだっていうことです。」
お父様に対する憎しみを原動力にして生きてきた塩谷さんが、
どんなふうにその人生が変えられたのか、
そのお話しをぜひぜひお聴きください。
(約25分)
初めて出会った気がします。
いや、たぶんご本人は、「伝道ということ」をしている
なんて意識すらないのかもしれません。
「伝道しよう!」とか「伝道しなきゃ!」じゃなくて、
もうその存在から、イエス様に出会った喜びがあふれ出しちゃって止まらない
そんな感じです。
その人とは、今放送中のコーヒーブレイク・インタビューにご出演の
ゴスペルシンガー塩谷達也さんです。
「・・・だから僕はもう、黙ってられないんですよね。
いろんなところで『すごいぞ、イエス様は』って言いふらしてんですよ。
それはもう、俺の人生が変わったんだっていうことです。」
お父様に対する憎しみを原動力にして生きてきた塩谷さんが、
どんなふうにその人生が変えられたのか、
そのお話しをぜひぜひお聴きください。
2008年06月12日
主イエスはどこに。
「わたしは独りぼっちだ」
「もう誰も私のことなんか気にしちゃいない」
「もうどうにもなりゃしない」
孤立無援のような悲しみに突き落とされる。
そういうことも、生きていると一度や二度、ありますよね。
あんまり嬉しくないことですけど。
そんなとき、それまで自分が頼りにしてきたものが、
どんなに頼りにならないかっていうことを、思い知らされる気がします。
「孤独だ…」とかって思って、くらーい闇の中にいるような感じになって。
あの人やこの人のことも、
木々の緑も、空の青も、
なーんにも目に入らなくなっちゃう。
そして、神様も。
今回の『魂のゆくえ』で、石居先生は、「まさにそういうところに、主イエス様は居てくださる」と。
「イエス様は『神の見捨て』。見捨てられた所に居てくださる。」
私たちのところに居てくださるために、自ら見捨てられてくださった御方。
この御方が、私たちの「友」となってくださるんですよね。
「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。」
この御言葉が深くこころに響いてきた回でした。
(約20分)
「もう誰も私のことなんか気にしちゃいない」
「もうどうにもなりゃしない」
孤立無援のような悲しみに突き落とされる。
そういうことも、生きていると一度や二度、ありますよね。
あんまり嬉しくないことですけど。
そんなとき、それまで自分が頼りにしてきたものが、
どんなに頼りにならないかっていうことを、思い知らされる気がします。
「孤独だ…」とかって思って、くらーい闇の中にいるような感じになって。
あの人やこの人のことも、
木々の緑も、空の青も、
なーんにも目に入らなくなっちゃう。
そして、神様も。
今回の『魂のゆくえ』で、石居先生は、「まさにそういうところに、主イエス様は居てくださる」と。
「イエス様は『神の見捨て』。見捨てられた所に居てくださる。」
私たちのところに居てくださるために、自ら見捨てられてくださった御方。
この御方が、私たちの「友」となってくださるんですよね。
「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。」
この御言葉が深くこころに響いてきた回でした。
2008年06月09日
終末
聖書の中に、終末の出来事について書かれているところがありますよね。
私、正直言ってあそこが苦手です。
たぶんそういう方、結構多いんじゃないでしょうか。
戦争や災害や迫害や、恐ろしい出来事の預言がされて、
しかも「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」なんて書かれていると、
うっっっ、私はとても耐え忍べないよぉ〜って思ってしまいませんか?
番組「主よ、あなたが歩かれる道ならば」で、
今ちょうど、この終末のことが書かれているマルコ13章をお話しくださってるんですが…
井幡先生のお話しを聞いて、ちょっと苦手意識が払拭されました!
特に今回、目からうろこだったのは、
コリント書二5章10節のこの言葉を引用してお話しくださったところです。
「わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、
善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、
報いを受けねばならない」。
自分の人生を振り返れば、善より悪のほうがはるかに多い、失敗だらけの人生です。
そんな私にとってこの言葉は、グサリと突き刺さる厳しい言葉でした。
でも実は、こんなにも神様の愛に満ちた慰めの言葉だったんだと、初めて知りました。
(約20分)
私、正直言ってあそこが苦手です。
たぶんそういう方、結構多いんじゃないでしょうか。
戦争や災害や迫害や、恐ろしい出来事の預言がされて、
しかも「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」なんて書かれていると、
うっっっ、私はとても耐え忍べないよぉ〜って思ってしまいませんか?
番組「主よ、あなたが歩かれる道ならば」で、
今ちょうど、この終末のことが書かれているマルコ13章をお話しくださってるんですが…
井幡先生のお話しを聞いて、ちょっと苦手意識が払拭されました!
特に今回、目からうろこだったのは、
コリント書二5章10節のこの言葉を引用してお話しくださったところです。
「わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、
善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、
報いを受けねばならない」。
自分の人生を振り返れば、善より悪のほうがはるかに多い、失敗だらけの人生です。
そんな私にとってこの言葉は、グサリと突き刺さる厳しい言葉でした。
でも実は、こんなにも神様の愛に満ちた慰めの言葉だったんだと、初めて知りました。
2008年06月06日
全地雪ノ下「主の憐れみを求めて」
毎月第2日曜に放送しています鎌倉雪ノ下教会の礼拝。
月に一度、横須賀線に揺られてワタクシが収録に伺っております。
日曜の朝、鎌倉駅東口(鶴岡八幡宮の方です)はいつも沢山の人!
さすが観光地です。
そんなステキな観光地に、鎌倉雪ノ下教会があるのです。
駅を出て大通りをわたってスグ、徒歩3分で行けます。
もちろん場所が良いからという訳ではなく(!)
雪ノ下教会の礼拝に参加させて頂けることが、私はとても嬉しいのです。
教会の規模としてはかなり大きいのですが、皆さん温かくて。
以前教会の聖書をお借りした時、その日の聖書朗読の箇所にしおりがはさんであって、
細やかな準備がされているんだな、と思いました。
そして、東野先生の祈りと説教は、いつも心新たにされる思いです。
今日更新の礼拝説教「主の憐れみを求めて」。
みなさん、ぜひ聞いてください。
この日、説教の後の賛美がしばらく歌えませんでした。
声が出ずに、涙が出て仕方がありませんでした。
「主よ、憐れんでください」とご一緒に祈りましょう。
(約70分)
月に一度、横須賀線に揺られてワタクシが収録に伺っております。
日曜の朝、鎌倉駅東口(鶴岡八幡宮の方です)はいつも沢山の人!
さすが観光地です。
そんなステキな観光地に、鎌倉雪ノ下教会があるのです。
駅を出て大通りをわたってスグ、徒歩3分で行けます。
もちろん場所が良いからという訳ではなく(!)
雪ノ下教会の礼拝に参加させて頂けることが、私はとても嬉しいのです。
教会の規模としてはかなり大きいのですが、皆さん温かくて。
以前教会の聖書をお借りした時、その日の聖書朗読の箇所にしおりがはさんであって、
細やかな準備がされているんだな、と思いました。
そして、東野先生の祈りと説教は、いつも心新たにされる思いです。
今日更新の礼拝説教「主の憐れみを求めて」。
みなさん、ぜひ聞いてください。
この日、説教の後の賛美がしばらく歌えませんでした。
声が出ずに、涙が出て仕方がありませんでした。
「主よ、憐れんでください」とご一緒に祈りましょう。

