キリスト教放送局日本FEBCスタッフブログ

2008年06月09日

終末

聖書の中に、終末の出来事について書かれているところがありますよね。
私、正直言ってあそこが苦手です。
たぶんそういう方、結構多いんじゃないでしょうか。

戦争や災害や迫害や、恐ろしい出来事の預言がされて、
しかも「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」なんて書かれていると、
うっっっ、私はとても耐え忍べないよぉ〜って思ってしまいませんか?

番組「主よ、あなたが歩かれる道ならば」で、
今ちょうど、この終末のことが書かれているマルコ13章をお話しくださってるんですが…
井幡先生のお話しを聞いて、ちょっと苦手意識が払拭されました!

特に今回、目からうろこだったのは、
コリント書二5章10節のこの言葉を引用してお話しくださったところです。
「わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、
善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、
報いを受けねばならない」。

自分の人生を振り返れば、善より悪のほうがはるかに多い、失敗だらけの人生です。
そんな私にとってこの言葉は、グサリと突き刺さる厳しい言葉でした。
でも実は、こんなにも神様の愛に満ちた慰めの言葉だったんだと、初めて知りました。

kiku-gr.gif(約20分)
posted by FEBC staff at 09:24| Comment(4) | TrackBack(0) | おすすめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今日は、とても、一人では、耐え忍ぶ事の出来そうもない内容、同じく、善より、悪の方が多い私の人生確かに、グサリと突き刺さる厳しい言葉ですが、神様の裁きの座の前に共にイエス様が立ち、とりなして下さり、主イエス様の十字架の死と復活の故に、私達が、最後に行き着く先は、神様の救いです!との井幡先生のお話に、涙が溢れました。ただ、だからと言って、良いこと以外、何をしてもいいんだ!と調子に乗るな!と自戒する事も大切にこの命生きる事も大切にしたいですね。

Posted by 京武直子 at 2008年06月09日 15:34
今晩は、私、この箇所、怖くて避けて読みたい!と思ったこと、何度かあちますが、不思議と釘付になるんです。井幡先生のお話を聴き、神様の裁きの座の前に共に立ち、とりさして下さる主、イエス様がおられる事、とても、慰めに満ちると共に、心強いですね。人生の旅路の終着駅が、救いだとは!感謝の涙が溢れます。主の十字架の死と復活に感謝しするとともに、日々を自重し、この命を大切にして過ごします。
Posted by NAOKO at 2008年06月09日 18:22
今日は、青森〜仙台に帰る途中の事、祖母の様子身に、両親と行ったのですが、八戸で、新幹線の乗車券、3枚必要なのが、2枚しかないのに気づき、困っていたら、父が、走ってきました。降りた時、うっかり、手を放し、父の鞄のポケットに1枚入ったようで、新潮文庫を読もうとした時気づいた様です。時計見たら、走ると間に合う時間、駅の係りの人に、動揺している私の代わりに、父が事情を話し、そのまま通して貰えました。主、イエス様が、共に、神様の裁きの座の前に立たれ、とりなしをして下さり、失敗したからもう駄目とは、なさらない、私達は、その故に、主、イエス様の十字架の犠牲の故に御国で救いの恵みに与る事が出来る!って少し違うかもしれないけれども、こんな感じかな?と思い出しました。
Posted by Zhizi at 2008年06月10日 10:58
京武さん、NAOKOさん、Zhiziさん、コメントありがとうございます。もうすっかり常連さん(?)になってくださってうれしいです♪

幼い頃、教会学校でうたった歌で、「福音の汽車に乗ってる 天国行きに〜 罪の駅から出てもう戻らない 切符はいらない 主の救いがある それでただ行く〜」というのがあったんですが、ご存知ですか?
Zhiziさんのコメントを読みながら、なんだかその歌を思い出しました。
Posted by FEBCスタッフ at 2008年06月13日 21:29
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