聖書って、新共同訳、口語訳、新改訳、フランシスコ会訳…などなど
いろいろな訳がありますよね。
もちろん内容はすべて同じなのですが、
訳によってずいぶん感じが変わるような気がします。
私のイチオシは、なんと言っても文語訳です。
文語訳って、「〜のごとし」とか「〜なかれ」とか「なんじら〜せよ」
という、あの古〜い日本語です。
そもそも現在人の私がなぜ文語訳聖書を読むようになったかというと、
今道友信先生が以前にご出演くださった「あこがれと涙とほほえみと」の中で、
山上の説教を文語訳で朗々と暗唱なさっているのを聴いて、
素敵!って、もうしびれてしまったんです w(°o°)w
それでその日のうちに早速、注文してしまいました。
今まで知っていたはずの御言葉や、何気なく読み過ごしていたところが、
文語訳で読むと、新しく心に染み通ってきます。
そのひとつが、「こころなり」という言葉です。
たとえばマタイ福音書1章23節「その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(新共同訳)
ここが文語訳ではこうなんです。
神われらとともにいますといふこころなり。
イエス様が重い皮膚病の人を癒すときに仰った言葉、
「よろしい。清くなれ」は、
文語訳では「わがこころなり、潔くなれ」。
そして、イエス様が天国をたとえてなさったぶどう園の主人の話。
朝から働いた人にも、夕方から働いた人にも、同じ報酬を与えようとする主人の言葉です。
「この後の者に汝とひとしくあたふるは、我がこころなり。」
ただ「あたえたい」より、
「こころなり」そう言われると、
すべての人を招き、祝福せずにはおれないイエス様のおこころ、
単なる言葉じゃなくて、本当にイエス様のおこころそのものがそこにある、
そのおこころをいただく思いが致します。
2008年06月02日
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