キリスト教放送局日本FEBCスタッフブログ

2008年04月15日

人間に神の姿が刻まれている?!

福音書を読んだり、福音書からのお話を聴いてると
そこに書かれている内容は
2000年前のユダヤの社会で生きていた人たちのことなのに
なぜか今の自分の姿と重なることってありませんか?

普段はいろいろなもので包み隠している
弱さや惨めさ、孤独、痛み、醜さが、
自分のこころが裸にされていくように見えてきて、

「あっ、福音書に書かれているこの人と、自分もおんなじだ!」

ibata.jpegいま放送中の『主よ、あなたが歩かれる道ならば』を聴きながら
やっぱりそう思った瞬間がありました。
それは、

「自己矛盾」

この言葉を聴いた時です。

当時のイスラエルの指導者たちの姿を指した言葉なのですが、
まさにこの私の姿そのものです。


でも、井幡先生はその後でさらにびっくりするようなことを仰います。

「人間には、神様のお姿が刻まれているのです。」


「矛盾」しか見出せないような私の姿を
イエス様は、「神様のもの」としてくださった…

そんなイエス様の温かい、
包み込むようなまなざしを感じるこの番組、
どうぞお聴きください。

kiku-gr.gif(約20分)


posted by FEBC staff at 09:20| Comment(3) | TrackBack(0) | おすすめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今日は、井幡師の今回のテーマ、自己矛盾を抱えている私ですが、「そうなんだ、私も神様の似姿だあり、神様のものなんだ!」と自分自身の命の根本に立ち返らせて頂く期会が与えられ、前向きに生きる勇気と力があたえられました。私の頭の中で、主は、インマヌエルであるのメッツセージにリンクし、いい歳した大人が、涙を溢れる程流してしまいましたが、そのまま主イエス様に抱かれた心地良さをかんじました。井幡師の語り方は、主イエス様が私のすぐ傍に居られる気配を感じる親しみを覚えます。スタッフの皆様のお働きの上に、インマヌエル主が共にいて下さいますようにお祈りいたして居ります。
Posted by Zhizi at 2008年04月15日 11:54
今日は、聖書は、人を映す鏡、浮んだのは、人身事故があった時、その人の身上を思いつつも、列車が遅れる事を迷惑と思う私の姿、おおよそ、主イエス様とは程遠い、その事を今回の井幡師のお話を通して示され、ギクリ!としました。でも、そんな私達に、「神の似姿、神様のものなんだ!」と仰る、このメッセージは、私達を命の根本に立ち返らせ、立ち直らせて下さるもの、涙が止まりませんでした、と同時に主イエス様にそのままの私が抱かれた、井幡師の語り方は、そんな不思議な温かさを感じ、感謝です。スタッフのお働きの上に主イエス様のお導きをお祈りします。
Posted by 京武直子 at 2008年04月16日 12:54
今日は、井幡先生の今週?のメッセージ、「私達は、神様の似姿、神様のもの」は、私達の命の根本に立ち返らせ、自覚させ、その様に生きる様に励ましと立ち直りのきっかけを与えて下さるものですね。スタッフのこの件のBlogは、聖書は、私達を映し出す鏡である事の証しですね。思えば、毎日曜の礼拝は、私達の命の根源に立ち返る場なんですよね、日々の暮らし、人間関係に破れ、うな垂れてまま歩いていても、「神様の似姿、神様のもの」、このメッセージに支えられ、また顔を上げ、生きて行く事が出来るんですよね。主イエス様の愛が滲み出ている井幡先生の温かい語り方、その主の愛に包み込まれた様な至福の時を感じます。
Posted by jinu at 2008年04月17日 14:37
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