キリスト教放送局日本FEBCスタッフブログ

2009年09月18日

反省しました。

日本にプロテスタントが伝えられて150年か163年か、
いろいろあるみたいですけれど、だいたい一世紀と半分。
長いのか短いのかよく分からないんですけれど、
こうして伝道の働きに携わらせていただいていて感じるのは、
「このままでいいのかな?」って。
自分自身に厳しく跳ね返ってくる問いですけれど、
きっと皆さんがそれぞれの形で、そのことを痛切に感じておられるのではないでしょうか。

今回、『日本プロテスタント宣教150年記念大会』に参加させていただき、収録させていただきながら、
本当に様々なことを考えさせられました。
「未来がある事を信じたい。でも、本当に大丈夫かな?」とか。

でも、加藤常昭先生の講演を聴きながら(というか、タイムキーパーしながら)反省させられたんですよね。
「そんなことじゃないな」って。
「身内の心配なんかしててどーするよ」と。

pict13_090918.jpg

年齢の事を言っては失礼にあたるかもしれませんが、加藤先生は御歳80歳。
説教塾主宰として、全国各地を飛び回っておられます。
加藤先生をそこまで突き動かしているものは、一体何か。
講壇に立っておられる加藤先生のお姿を拝見しながら、「立ち返れ!」と叱咤された気がいたしました。

是非、その時の御講演も納められている『今日を問う』をお聴きになってみて下さいね。
FEBC特別番組「今日を問う」 日本プロテスタント宣教150年から考える 特設ページ

その時の反省がなかなか身に付いていない現状なんですが、
ともかく、主のために、今日やれる事を精一杯していくことが、
私なりの150年の振り返り方かなと思っています。

(chohsuke)
posted by FEBC Staff at 09:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ここのブログや、クリスチャンブログを見て回って思うのですが、
どうしてもキリスト教徒の人たちって、いつも不安に怯えているのですか?

そんなに信徒の数が激減していることが、怖いですか?
私は、牧師の説教やブログの内容を見るたび「どうしてみんな(信徒や教会の)数ばかりに注目するのだろう」と思っています。

信徒の数が減ろうが、教会がつぶれようが
いまいる、信徒が一人ひとり、キリスト者の自覚をもって、近隣の人と接しているだけ、十分伝道になりませんか?
そんなに仲間がほしいのですか?
焦っても、いい結果は得られないとおもいます。

もう一つ。
すこし話がずれます。
いくら教会がキリストの体だからと言っても教会を大切にしすぎる傾向が多くみられるように思います。
教会というハコモノを通さなくては、信仰が深まらないのは在る面から見れば正当ですが、そのハコモノにこだわりすぎリるのも問題だと思います。
その中間点で落ち着く、ということはできないのでしょうか。

ぜひ、この疑問にどなたかお答えくださればありがたく思います。
Posted by 深沢ひかり at 2009年09月18日 09:53
主の御名を賛美します。私もあまり信徒数にこだわりすぎると教理がただしくても基督教会がカルトに陥ってしまう危険性があると思います。故あって郷里の高校生時代、求道者だったころ、通っていた教会の、信仰面で支えて頂いた牧師さんから5年前にクリスマス聖画カードと共に頂いたお手紙のお返事に「教会は、人の集まりですが、大切なのは数ではありません。」とありました。日曜学校に生徒があまり集まらず、クリスマスの祝会で聖劇ができるかどうか焦ってた頃に相談がてら近況を知らせるに差し上げたお便りにたいするお返事だと記憶してますが。私も数を気にしすぎてお祈りし、主が必要とお思いなら備えてくださるということを忘れていたこと反省です。
Posted by リンゴ娘 at 2009年09月18日 12:36
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